ひと昔だと機械というと、見た目ですぐに機械とわかるようなものが多く、産業ロボットであったり工作機械であったりと、機械という定義もしっかりとしていました。
人間も機械に接するときは機械を使うときであり、人が操作して機械を動かしています。
産業革命のころから、人は機械を使うことで生産効率を上げて、人間社会を豊かに便利にしてきました。
やがて技術が進歩していき機械化やオートメーション化なども工場では行われ、そしてパソコンが登場し、携帯電話やスマートフォンや携帯機器が登場し、さらに人々の生活は便利になりました。
機械を人が使えば人間社会を便利にして効率的にしますが、機械に依存しすぎると、人が機械を使うのか、機械が人を使うのか境界線は曖昧になっていきます。
有名な映画などでも機械が人間社会を支配するような状況が描かれていますが、それは空想の中だけでなく、もしかすると現実社会にも同じ事が起きるのかもしれません。
機械はスイッチを切ってしまえば動かなくなるので、人が機械に支配されることはないと考える人もいますが、機械に依存しすぎるとスイッチを切るのを忘れるかもしれません。
機械というのは何も歯車が動いたりする物ばかりが機械ではなく、最近ではマイコンなどの発達により機械の形はよりスマートになっています。
身近な例としてはスマホがあり、これは機械として認識して使うことはあまりないでしょう。
コミュニケーションをとるようなツールなどとして使いますが、スマホ中毒という言葉があるように、24時間スマホが手放せず、まるでスマホに支配されているような人々もいます。
機械自身が意志を持つことも近い将来はあるかもしれません。
日夜人工知能の研究は進んでおり、ある新聞社では一部の記事をすべて人工知能が書くようになっています。
銀行では業務に人工知能を使用しているところもあり、人間社会への機械の進出はめざましく発展しています。
このような状況が更に浸透し、人々は機械を手放せなくなり、機械が社会に入り込み社会を形成するようになれば、そのうち機械が人間社会を支配する未来が来るかもしれません。
人が機械を理性を保って使うことが出来れば良いのですが、機械の言いなりになってしまえば機械に支配されている状況といえるでしょう。
すでに人間社会では機械がなければ成り立たないような場所もいくつもありますので、これからは益々人々は機械に支配されることとなります。
いつしか機械を使っているつもりが、機械に使われるようなこともあり得るかもしれません。
SF映画が描くよな機械に支配された未来も現実になるかもしれないのです。